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    • 2019.07.02 Tuesday
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    例幣使街道−6((大平下駅から東武金崎駅)

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      「大平下駅」の石段を下り直進すると街道に出ます。
      近くの大平山はアジサイの季節です。
      栃木宿は歴史があり、駅付近の道は複雑です。
      朽ちかけた木製の道標がありますが判読は困難です。
      地図からルートガイド『丁字路を右、路地を左に』を準備しました。
      スマホに寄らないで街道を歩けました。
      栃木宿は昭和初期まで巴波川を利用した物流の拠点でした。
      浅い川に鯉が泳ぎ、菅笠の観光客が遊覧船で漂っていました。
      街道は北に向かいます。
      嘉右衛門町の例幣使街道は色のついた砂利で特殊舗装された道です。
      街道はくねくねと曲がり蔵屋敷が残り、見所があります。
      「東武金崎駅」は静かです。電車が近づく時のけたたましい警報音も
      案内放送もなく、ゴーと電車はやってきて、発車ベルもありません。
      駅だけどバス停と同じなのだろうな。

      例幣使街道−5(富田駅から大平下駅)

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        街道はJR両毛線に沿い東に向かい、静和地区から北東に変わります。
        「富田駅」から出流川を渡り、県道から外れて静かな街道になります。
        珍しい名前(船渡川)が隣接していました。古民家もあります。
        集落の中ほどに芦畦の獅子舞収蔵庫と隣に常夜灯があります。
        佐野の市街地になり、天明宿です。宿場の入口に秋山川が流れています。
        中橋と上流に県道が通る大橋と下流に天明大橋があります。
        中橋を渡ると歩道のある直線道路になり、隣の歩道のない県道が街道です。
        佐野厄除け大師は天明大橋を渡る道沿いにあります。
        本堂を覗くと多くの人が正座して、護摩を焚く僧侶の後ろ姿がありました。
        犬伏宿です。街道は上り坂になり、丘を迂回しています。
        丘を利用した米山古墳で、正面に薬師堂があり説明板によると真田親子が
        話し合いをした場所だとか。
        車が激しく通る道を越えると静和で街道は左に曲がります。
        幾度か車道を縫うように越えた所に珍しく「例幣使街道」の道標です。
        富田宿になりました。「大平下駅」は街道の近くです。

         


        例幣使街道−4(韮川駅から富田駅)

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          「韮川駅」から街道に出ると鳥居のない神社です。
          鳥居は石柱を渡す縄で、柱の横に犬の像と由来看板があります。
          街道は極端に狭まり工場の塀とドブで軽車両がやっと通れるほどです。
          矢場川郵便局でスタンプを押し、狭い道路は街道ではなさそうでした。
          車の激し街道に戻り、この間余分に歩いてしまいました。
          八木節のノボリと入場無料の看板につられて入ると老人の餌食です。
          八木節の要である樽がなくなり、祭りは騒音や交通の妨げなどが問題で、
          衰退して行く運命とか、それと例幣使の数々の悪行を聞かされました。
          梁田宿を過ぎたあたりで再び街道選択を間違ってしまったようです。
          今度は地図を頼りにしましたが、街道は狭く曲がりくねっていました。
          一条刈りの小型機から四条同時に刈る大型機が麦畑で働いています。
          脱穀が同時にでき、刈り残した茎葉は肥料に使うのだろうか。
          将来、機械が発達すると刈り取りしながら麦わら帽子ができるのかな。
          県道128号線に道路看板があり、左に入る道に田沼方面と出ています。
          その道が例幣使街道でしたが直進して、大きく迂回してしまいました。
          「富田駅」は遠かったですね。

          例幣使街道−3(境町駅から韮川駅)

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            「境町駅」から街道に出る道筋にマユの保存に使ったレンガ倉庫があります。

             

             伊勢崎線の踏切を渡り、枡形に曲がる道は国道17号線の高架下に出ます。

            国道の近くの電柱に「カラスの巣監視中」のペープが巻いてありました。

            見上げると小枝を集めた巣を発見できました。

             

             石田川の橋を渡り、すぐに左へ、川で途切れた街道を行きます。

            県道の例幣使街道は東に向かい山崎宿に出ました。広い歩道の真ん中に

            山崎宿と彫られた立派な石碑です。

             

             木崎の市街地は田園地帯になり街道は静かな脇道に入ります。

            いっ時の静寂は沼の湿原で終わり500mほど行くとまた脇道です。太田の

            住宅地になりました。車の激しい道路のドブ板を歩く旅です。

             

             歩道が完備された太田の中心街を抜けると、長く続いた直線道路はスバル

            の工場を過ぎて北東に向きが変わりました。

            国道17号線を越して左に入ると「韮川駅」に出ました。

             


            例幣使街道−2(倉賀野駅から境町駅)

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              倉賀野宿は鉄道ができる前は栄えた宿場で当時の面影を残しています。
              「倉賀野駅」から中山道に出て、東京方面にゆくと例幣街道の追分
              を示す常夜灯があり、その裏に新装された閻魔堂があります。
              街道は東に向かいます。「例幣使街道」の道標が所々にあります。
              またコンビニが数件点在していてトイレには困りませんでした。

               

              市街地を抜けると左手に赤城山と榛名山、後ろに浅間山を望めます。

              沿道には点在する家と工業団地、それに田畑が現れます。5月です。
              黄金の麦畑、水を張った田んぼ、畑に大きな葉のゴボウです。
              倉賀野から6kmで玉村宿です。例幣使はここに宿をとったようです。
              街道の左に井田酒造、その奥に広い境内の玉村八幡宮があり、雅楽が
              流れていました。人形供養を毎月していただける数少ない神社です。
              玉村町をすぎて利根川の手前に五料宿で関所があったようです。
              利根川を越えると柴宿になります。
              福祉大学があり、高崎線の本庄駅行きのバスがあります。街道には
              境町までバスや鉄道はなく、このバスをエスケープに使えます。
              道の標柱に「右 旧例幣使道」とあり小道に入ると路面にペンキで
              日光例幣使道と描いてあります。右に赤城山が見える場所です。
              広瀬川の武士橋を渡ると境宿で、街道は左の細い道です。
              再び元の県道142号線に出ます。「境町駅」はすぐでした。

              例幣使街道−1

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                高崎市倉賀野宿から日光今市宿に至る115kmの街道で、途中の楡木宿

                で壬生街道に合流します。

                1647年から明治になるまでの221年の間、毎年、京都を4月1日に
                出発して15日に日光東照宮に捧げ物を届けるための街道で、帰りは江戸
                城に寄って東海道を戻りました。
                約50人編成の例幣使が歩いた街道には14の宿場があり、五街道に次ぐ
                街道として1764年に道中奉行の管理になり整備されていました。
                江戸幕府が朝廷に日光東照宮へ幣帛の奉納を要求したことが始まりです。
                例幣使たちは権力を使いユスリなどの悪行をし、特に例幣使街道では毎年

                被害に在っていたそうです。

                 

                西暦700年頃に造られた東山道は幅の広い直線道路だったそうで、これを
                基に例幣使街道が造られたとされており、ほぼ直線の道路になっています。

                街道の沿線に古い建物は見られませんが、随所にある石碑や説明板で当時を

                思い起こせます。


                西国巡礼−38

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                  第33番(谷汲山・華厳寺)
                  長かった西国霊場の巡礼は今日で結願します。

                  京都市内でチョッピリ歩いたり、醍醐寺で急坂を登ったりしただけで

                  後はレンタカーで回らしてもらいました。

                  那智の滝からの全行程は千kmあり四国巡礼よりかは短いでした。
                  谷汲寺は岐阜県になる。

                  木が茂るつづら折りの上り坂になり、谷汲寺に近いと思ったが、道路は

                  広くなり寺はまだ先だ。

                  サクラ並木が現れて参道は徐々に登る道になって、両側にはお土産屋さん

                  が並んでいる。

                  何回も唱えた般若心経は未完成で、途中で小声になり小休止してしまう。

                  本堂の脇の納経所でお札は何処に納めるかと尋ねると「この上」と祖毛ない

                  返事が返ってきた。

                  最後の御朱印だったが、せめて「ご苦労様でした。」とか「満願

                  おめでとう。」ぐらいは言ってほしかったが、無口の坊さんなのか、

                  それとも毎日のことなので面倒だし、今日は疲れているのか。

                  拝んでいる仏像は何も言わないが、でも人との関わりは言葉でしょう。
                  お札を納めるお堂は階段を上った先にあった.階段の両脇とお堂の周辺に
                  でかいタヌキの石像が鎮座している。
                  奥宮の看板につられて山道に入ると、33観音の小型版が道の脇にいた。
                  オマケの伊吹山
                  伊吹山
                  帰りがけに関ヶ原付近で見かける伊吹山に車で登ることにした。
                  新緑だった木々は次第に冬の枯れ木になり、道端に大きな望遠レンズを
                  構えたカメラマンが数人いた。イヌワシの飛来を待っているとか。
                  頂上近くの駐車場は風が強く寒いよう。

                  西国巡礼の旅はお仕舞いです。

                  無事に廻れたのは観音さまの御利益です。(合掌)

                   

                   


                  西国巡礼−37

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                    第32番(繖山・観音正寺)くぬがさん

                     駐車場からの登りは一抱えもありそうな自然岩を並べた岩段で、

                    ずっと下から続いているようだ。700段近くあるらしい。

                    岩段の中央に手すりがあり、自称登山家には登りやすい参道だ。

                     

                     山門はなく、仁王山の銅像が参道の両端を守っている。
                    本堂には近代的な千手観音菩薩像がある。

                     本堂の裏に背丈を越える大きな岩が隙間なく積まれ、石仏像が積み

                    重なって立っているようだ。

                    どこから岩を持ってきたのだろうと考えてしまった。
                    近江平野を見通せ、時々新幹線の走る音が聞こえてきた。

                     

                    多賀大社

                     中山道の街道歩きで見付けた参道の多賀大社へ立ち寄る。
                    街道の鳥居を潜ると街路樹はなくなり、狭い道路で両側は民家だ。

                     多賀大社は天照大御神の父母を祀った大社で広い境内だ。正門に

                    石造りの太鼓橋が架かり、子供達がスケボーで騒いでいた。

                     暗くなりかけた境内、社の金金具が目立っていた。
                    33番華厳寺へ

                    西国巡礼−36

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                      第31番(姨綺耶山・長命寺)

                      いきやさん

                       

                       

                       

                      琵琶湖の東脇を巡る道路を1時間ほど走って到着した。

                       

                       

                      お寺は山の上、急坂が続く。歩いて登るにはきつそうな坂だ。車で登れて

                      助かった。

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                      「西国31番 札所 長命寺」と刻んだ大きな石塔の先に幅広い100段ほど

                      の石段だ。

                      その石段は下の方へも続いていて、琵琶湖畔から808段あるとのことだ。

                       

                      この石段は健康長寿を願う石段だった。時間があればの登れそうな石段だ。

                       

                      以前に登った山形県の羽黒山神社の石段は2446段だったかな。

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                      32番観音正寺へ

                       

                       

                       

                       


                      西国巡礼−35

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                        第30番(厳金山・宝厳寺)竹生島

                         

                         

                         

                        竹生島の観光船は9時発だ。そこまで彦根駅から米原経由で長浜港に

                        向かったが港までは以外に距離があり、出航間際に駆け込んだ。

                         

                        琵琶湖は波が立っていた。

                         

                         

                         

                         

                        30分間のクルージングで竹生島に到着、港に数軒の土産物屋は

                         

                         

                         

                         

                        まだ準備中だった。

                        西国30番目の宝厳寺は石段の途中から右に入ったところだ。

                         

                        足場が組まれ、飛散防止の網が張られいて工事中だ。京都の清水寺も

                        工事中だったな。

                         

                         

                         

                         

                         

                        巡礼の必需品を今回だけ忘れてしまい、ロウソクと線香を買った。

                        街道歩きと巡礼がゴチャゴチャになり、用意したのは街道歩きの品物で

                        輪袈裟とお数珠とお経本とそれに巡礼札は持っていた。

                         

                         

                         

                         

                         

                         

                         

                         

                         

                        31番長命寺へ

                         

                         

                         

                         

                         

                         

                         

                         

                         

                         

                         


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